体外受精5回目で無事に1人目を出産しました。マタニティーライフも体験記にしたいくらい本当に色々な事がありましたが、とにかく元気な赤ちゃんが産まれたことは最高の幸せでした
出産は帝王切開でした 35週という早産になってしまいました低体重児をギリギリ免れる程しっかりとお腹の中で育ってくれていたことも幸いでした
そんなこんなで子どもが生まれると母親は子育て一極集中モードに入りますから1年間は子育てに追われる日々を過ごしていました 出産も子育ても母親にとって命がけのものうまくいかないことも悩むこともいっぱいでした でも体外受精で培ったスタミナと我が子を抱ける喜びは何物にもかえられません
子育てはしんどいけれど、もうとにかく可愛い♡この子の為ならなんだってできる!そう思うのが母親というものです
こんなに可愛いのだから、できればもう1人産みたいそういう気持ちはありました でもなんせ私は卵管閉塞で5回の体外受精をしている もう欲張ってはいけない 望んではいけないという思いがどこかにあったと思います
突然の母の告白
子どもが4か月になろうとしていた時のことです 毎日子育てに必死だった私は、いつもどおり実家に我が子を連れて行きました
すると母からびっくりすることを告げられたのです
「お母さん 白血病で今月末から入院することになった 前から分かってたことだから心配しなくていいよ」
はあ?・・・私には意味が分かりませんでした 病名を聞いて大したことない病気とは思えませんしこんなに元気な母がなんで?なんで?と疑問しかありません
話を聞いてみると、母の病気のことを知らなかったのは私だけだったのです。私以外の家族も親戚も知っていたことでした。なぜ母は私にだけ病気のことを話さなかったのか
それは私が体外受精をしていたから・・・
#1で書かせていただきましたが私が自然妊娠は絶望的だと分かった時 母が
「不妊治療は命を奪われる病気ではないからちょうせんしてみたらいい」といった言葉の意味がこの時初めて分かりました。
子どもが出ないと泣き喚く娘 でも自分は死ぬかもしれない病気を患っている だから私に体外受精に挑戦しなさいと言ったのです 不妊治療をしていた5年間私だけそのことを知らされていなかったのは治療の妨げにならないことを思ってのことだったと分かりました 母はこのあと長い闘病生活に入りました ですからこの時以降のうちの子の成長は知りません 孫の一番かわいい赤ちゃん時代を知らずに時が過ぎていきました 私はショックが大きすぎて しばらく母乳が出なくなってしまいました