2回目 体外受精の結果
2回目の体外受精は、結果的に採取できた卵子1個、その後、ET(胚移植)まで進みましたが、着床はしませんでした。
ということで2回目も失敗・・・
採卵はできたけれども、卵子の状態が弱かったと
医者からは告げられました。
気が遠くなりました。
そして・・・
ここで、経済的な問題も生じてきました。
このまま、治療を続けたらどうなる?
旅行にも行けない、趣味や買い物も十分に楽しめない・・・
主人もまだ、仕事が不安定でしたので、私が仕事を辞めて治療するという選択肢はありませんでした。
要するに
子どもが欲しければ
仕事と治療の両立をやりこなさなければならない
もう、今のこの状況から逃げることはできない
という事態になったのです。
唯一の情報源 雑誌「赤ちゃんがほしい」
このころは、まだスマホもない時代・・・
今のように、同じ境遇の人たちとSNSでつながるなんていう
ツールがありませんでした。
当時の私は、同じ境遇の人、同じ悩みを持っている人が必ずいるはず
どうにかして見つけ出したい!と仲間を探していました。
本屋さんへ行き、ありとあらゆる情報をかき集め、見つけたのが
当時、主婦の友シリーズで出版されていた雑誌
「赤ちゃんがほしい」です。
久しぶりに検索してみると、今もまだ出版されていました。
よく目にする子育て雑誌
たまごくらぶ ひよこくらぶの手前の段階ですね。
私は、この雑誌に本当に励まされました。
医者から説明を受けても、専門用語が難しくてチンプンカンプンでしたが
この雑誌で不妊治療、体外受精の知識をたくさん学ぶことができました。
手紙のやり取りで治療仲間ができる
雑誌「赤ちゃんがほしい」の最後のページに、文通コーナーという物があったんです。
たしか、出版社さんが仲介役になってくれていたのだと思います。
私の住んでいる地域でやり取りをしたい人に手紙を書き、相手も私に関心をもってくれたら、お互いに住所を教え合い、文通する。
インターネットが普及している、今から考えれば
アナログすぎて、笑われてしまいそうですよね(笑)
しかし、これが私の心のよりどころになっていきました。
仲良くなった妊活友達と何度も手紙をやり取りして、
励まし合ったり、近況を伝え合ったり
手紙を書くのも、もらうのも楽しみでした。
それに、色々な境遇の中で、治療を頑張っておられる方がいるのだと励まされて
狭かった自分だけの世界を抜け、視野が広くなりました。
ご主人が高齢で歳の差がある夫婦
2人目不妊に悩んでおられる方
私より体外受精の体験がたくさんある人
姑に「はやく、跡取りを!」とプレッシャーを掛けられている方
本当にみんなそれぞれ大変な環境の中で、体外受精をしていることを知り
私も頑張らなくっちゃ!と大きな力をもらえました。
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