病院から見放された 治療迷子の私

結局、腹腔鏡手術をした元の病院に戻った私ですが、主治医が実家の産婦人科を継ぐということで、病院を退職することになり、私は、完全に治療の迷子になってしましました。

こんな八方ふさがりの状態でどうするの?
もう不安しかない・・・

ところが、私の事をずっと診て下さっていた主治医の先生から、思いもかけない声掛けを頂きました。

先生が後を継ぐ産婦人科へ通院してみないかという誘いを受けました。

要するに、主治医と共に転院するということです。

定期的に通院するには、距離も遠くなり私が負担に感じることを考えて、先生も私に遠慮があったようです。

他の患者さんには、そんな誘いはできないと話して下さいました。

ここで、主治医との距離が一気に近くなったのです

しかし、その病院も産婦人科。また、妊婦さんと同じ空間にいる時間ができる・・・


私のメンタルも考えて、不妊治療専門の病院も紹介してくれました。

主治医のもとには定期的にカウンセリングを主にした診察を受け、不妊治療専門病院へ少しずつ移行するといった形をとっていただきました。
やっと治療の迷子から解放されたのです。

不妊治療専門クリニックへ

不妊治療専門クリニックは、自宅から車で1時間。職場からも50分時間ほどの場所にありました。

病院の受付では、まずカウンセリングをし、待合室でも妊婦さんはもちろんいません。

2人目不妊で、子どもを連れてきている人がちらほらといるくらいです。

「みんな、同じ悩みを抱えている人たちなんだ・・・」そういう思いで
待ち時間を過ごし、なんだか安心できたのを覚えています。

担当の先生は、主治医と関係が深いらしく、昔から同じ医学会の仲間であったという話をしていました。

初めて会う人なのに、人間と言うのは、つながりがある 共通の知人がいる というだけで、
親近感を持ってしまいます。不思議なものですね。

ここからは、主治医をA先生、不妊治療専門クリニックの医師をB先生とよぶことにします。

体外受精への覚悟

A先生の紹介で不妊治療専門クリニックへ転院し、私の主治医はB先生になりました。

B先生は、とても忙しそうな印象の方でした。私の場合、不妊の原因が両側卵管閉塞だったので、
B先生は初診からは、体外受精しかないと診断されました。
(腹腔鏡で通したはずの卵管は、この時、もうすでに閉塞していたんです)

もうやるしかない という思いでした。

体外受精はどういう治療のステップを踏んでいくのか簡単に説明します

1,投薬で卵子を育てる

飲み薬と毎日の注射です。腕に筋肉注射をするのですが、めちゃくちゃ痛い!
生理が終わって採卵手術日まで毎日、クリニックへ注射を打ちに行きます。
治療費は、1回に付き万単位はかかります。

2,どれくらい卵巣が育っているのか診る

定期的に、卵巣の状態を腹部エコーで確認します。
これが上手くいくか行かないかで、体外受精の成功率が変わります。

3,採卵手術

うまく卵巣が育っていれば、採卵のオペをします。局所麻酔の手術です。
卵巣の状態を見ながら、膣壁に注射針を刺し、卵巣めがけて針を打ち込みます。
痛さもありますし、意識がある中行われるオペですから半端ない緊張感との戦いです。
高度な医療技術だと思いました。

私は、この採卵が一番辛かったです。
採卵手術で、何個の卵子を採取できたかが、体外受精の大きなポイントとなります。

4,受精卵を作る

ここからは、病院にお任せするしかありません。
受精卵ができたかどうか確認できれば、受精卵を子宮に戻すオペをします

5,着床しやすくするために

上手く受精卵を、子宮に戻すことができても、子宮内に着床しなければ意味がありません。
しっかりと、着床できる環境にするために、再び投薬と毎日の注射がはじまります。
この注射は、私の場合、腰に筋肉注射でした。
ものすごく痛かったです。
痛さを例えるならば、
腰の筋肉に唐辛子の液体を差し込まれている感覚
でした。

体外受精を成功させるには、この5つの壁を一つずつ乗り越えていく必要があります。

自然妊娠できる人がほんとうに ほんとうに うらやましかったです。

体外受精は、「お金」「時間」「体力」「心」を奪われる4重苦なのです。



不妊治療クリニックで、初めて体外受精の話を聞いた時、
私も主人も真っ暗なトンネルの中にいきなり放り込まれた感覚でした。

それでも、進んでいこう!と決めました。

だって、

どうしても、かわいい我が子に逢いたかったから

逢えると信じていたから

この思いが・・・夢が・・・

どうしても諦められなくて

体外受精をしようと覚悟したのです。

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